肺動脈弁狭窄症と胎児のときに告知された6才になる娘の体験談

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心臓の病気って聞くだけで、

目の前が真っ暗になる気がしますよね。

私の娘は心臓病を持っています。

「肺動脈弁狭窄と三尖弁逆流」という先天性心疾患です。

胎児のときに診断されました。

私の娘は、1ヶ月に1回の定期検診はありますが

手術などの処置はしないで、

経過観察という状態で6才になりました。

診断を受けた時の心境や、

出産し、娘が退院するまでの状況や経過など

私の体験談をお伝えします。

赤ちゃんは肺動脈弁狭窄症?34週のときに言われる

 

 

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私の娘が、心臓に疾患があると言われたのは、

なんと私のお腹の中にいるとき、34週目の時でした。

33週になるまでは、近くのクリニックで診てもらっていて、

いつも「元気ですよ、大丈夫ですよ」なんて言われていました。

34週になりお産ももうすぐという事で、

産む予定の病院での検診となり大きな病院に、

ちょっとドキドキしながら行ったのを覚えています。

名前を呼ばれ、エコーの検査のときにふと先生が

「前のクリニックでは何も言われてなかった?」

と聞いてきました。

私は「はい!何も!元気ですと毎回言われていました!」

とニコニコしながら答えると、先生の表情はかなり曇っており

診察室に他の先生が来られ

娘のエコーを何度も見返し確認していました。

先生から

「お子さんの心臓に疾患があるので、ここの病院では産めません。

他の病院を今から探すので外で待っててください」と言われ

私は、頭の中が真っ白になったのを今でも覚えています。

そして、走馬灯のように

「あの時私が○○食べたから?」

「あの時、お腹が張ったのに歩きすぎたから?」

「あの時、冷やしたから?」

「あの時、風邪ひいたから?」

なんて、自分の行動が原因と当てはめるように、

自分を責めだし、ポロポロ涙がこぼれました。

今、あの時を思い返すと、

人間って本当にショックだと思考停止するのね。

と自分を客観的に見れます(笑)

そのくらい、今は成長しました。

心臓に疾患はあるけれど、お腹の子供は元気。

お産というゴールには向かっているので、

途中で「やめた」という訳にもいきません。

頭の中をフル回転させ、新しい病院に向かったのを

薄っすら覚えています。

新しい病院は新生児医療(NICU)がある大学病院でした。

先生も、丁寧に説明してくれて

肺動脈弁狭窄症、三尖弁逆流

(はいどうみゃくべんきょうさくしょう、

さんせんべんぎゃくりゅう)」と診断名がつきました。

そして、現在の状況と産まれてきての状況は大きく変わるという事。

胎盤という超高機能な装置につながれている今は元気であっても、

産まれて肺が膨らめば心臓の血の流れも大きく変わるので、

そこからが始まりです。と告げられました。

激動な34週目の一日を終えた時、私のあたまをよぎったのは、

「移植が必要ならどうしよう」という事でした。

TVでも聞いたことありますよね。

アメリカに移植で行きますとかの移植です。

日本でも臓器移植は始まってはいますが、

自分の子供が!と考えととき、

移植を考えてくれたご両親達は本当に立派だと

心臓病を持つ子供を持ってはじめて気づきました。

夫と、移植という壁などについても話しました。

私は、いっぱい自分を責めて泣きました。

どこが悪かったんだろう、どうしてこうなったんだろう。

立ち直っては、泣いてを繰り返していました。

でも、いつまでも下は向いて入れません。

前を向いて子供を育てなくてはいけないので

私は、心臓の病気について勉強することにしました。

ネットを調べたり、先生に色々聞いてみたり。

先生も私の性格を見抜いていたのか、

「まだ早いよ!産まれてからでいいよ!」なんて

笑って注意してくれました。

それでも、自分の心は不安だらけで、

ネットなどで色々調べる、本屋に行けば本を読み漁る。

でも、ネットって情報が沢山。

どう、情報を自分に取り入れていくか、

どれが正解かと見極めていく事が大切か。

PCにはり付く私に、夫が

「ネットの情報もいいけど、産まれてから決めても遅くないと思うよ。」

と言ったこともあり、そこまで自分を追い詰めていたんだなと・・・

仕事にだって、こんなに真剣じゃなかった気がするのに・・・

(ちゃんと、仕事してましたよ(笑))

そう、焦りすぎても何もかわらないし、

むしろどっしり産まれてから考えよう、くらいでいいと言えます。

出産予定日を決める日、

私はてっきり「帝王切開」になるとばかり思い込んでいました。

先生は私の予想に反して「下から産みましょう」と言ったので

驚いたのを覚えています。

「でも、途中で赤ちゃんがシンドイとか異変が起きたら

緊急で帝王切開するので、その時はお腹あけますよ~」と。

その時は、子供のためなら「お腹だって切ってください!」と

思えるんですよね・・・

母親になるって本当に凄い。母性って強さが増すんです。

「肺動脈弁狭窄と三尖弁逆流」は間違いありません

 

陣痛が始まり、病院へ行くと無機質な感じの部屋に通されました。

すぐに手術も出来るような場所です。

陣痛が波打つたびに、先生も看護師さんもいるし、子供も頑張ってるんだ!

私は、なんとかなるし子供も大丈夫だ!という

変な自信に満ち溢れていたのを思い出します。

ここまできたら、やるしかない!みたいな・・・

夫は、立ち合いしたのですが、もともと落ち着き払っている人なので、

「食事をいらない」という私の食事を食べてしまい

看護師さんに怒られコンビニに走らされる。

水!というと、私の水を自分で飲んでしまい、

看護師さんたちを唖然とさせるというツワモノでした。

お産の時って男の人は、あまり役にたたないみたいです。。。

私の出産は、新生児科の先生も立ち会うという事で、

説明の時に、お子さんはすぐにNICUに行くことになると思います。

と言われていました。

無事に産まれ、産声を聞いて安心したと同時に

子供の姿はNICUと消えました。

夫は、落ち着いたまま

「泣いたし、血色良かったし。ありゃ、大丈夫だわ」と

笑顔で私に言いました。

しかし、抱く間もなくNICUに消えたので

相当悪いのでは、、、と私は不安に感じました。

産後、少し休んでからNICUの先生からお話があるということで、

NICUへ移動。

保育器に入れられ、弱っているのか!?なんて想像していたのですが、

反して我が娘は保育器の中で、でーん!という感じで寝ていました。

そうです、3000g越で産まれたので、

NICUは、本当に小さな1000gに満たない子たちや、

チューブを通して頑張っている子たちがいるため、

我が子の大きさに驚きました。

むしろ、いていいのか!?と思いたくなるくらい・・・

心臓の検査や、スクリーニング検査という一通りの検査を受けていました。

先生の説明から言うと

「肺動脈弁狭窄と三尖弁逆流」は間違いありません。

ただ、今は、どうなっていくかを見守るしかないので

必要ある状態になれば胸を開いたりします。」と言われました。

胸を・・・開く!? 落ち着いて考えれば、

心臓を直すわけですから胸を開くのは当然な事です。手術ですから。

しかし、この小さい娘の姿を見て、この胸を開けるの!?と、

分かっているけど、変なドキドキを感じながら

「ははいっ・・・」と裏返ったような声で

返事をしたことを覚えています。

肺動脈弁狭窄の娘はNICUで私は病棟で別々にすごすことに

 

 

 

娘はNICUで管理されるため、私は一緒にいることはできません。

病棟に戻ったとき、私の部屋は4人部屋でしたが

皆、悪阻に苦しむ妊婦さんたち・・・

同じ病棟には、子供を抱き、てんてこ舞いしている

同じようなママ達が頑張っていました。

隣に子供がいるという事を凄く羨ましいと思いました。

なぜなら、ちゃんとママしている。

育児をしていると見えたからです。

同室でないという事が、自分のそばに置けないということが

「育てていない」と感じた瞬間でした。

しかし、いなければいないで搾乳という苦しい作業がまっていました。

直接母乳をあげれないため、試験管のようなものに初乳を絞っては

NICUへ運ぶという毎日です。

子供の泣き声はないのに、胸が張る。

身体はママなのに、子供に飲んでもらえない。

初日は、ちゃんとママしている人たちの声が聞こえるたび、

泣けてきて、泣きながら初乳を絞っていたのを思い出します。

でも、今、思い返すと・・・

産まれてすぐの「お腹減った!」「オムツ濡れてる!」

「よくわかんないけど泣いてる!」「授乳が上手くいかない!」

というママさん大変あるある!を実は経験していません。

24時間体制でNICUで見ていただいていたので、

搾乳したものを持ち看護師さんにお願いし子供の顔を見に行く

という程度だったので、実はぐっすり眠ったりできていたのです・・・

隣に子供がいて頑張っているママよりは、

産後すぐは休めたので体力の回復は早かったと思います。

そのため、搾乳だけは3~4時間起きに看護師さんに起こされて

搾乳させられましたが頑張れていた気がします。

この差って大きいです。心臓や疾患を持って生まれると、

悲しいし切ないしと思うかもしれませんが、

与えられたことを出来る限りやり、

NICUにいるのなら、お願いできる分、身体を休めて次に備えていく。

私は、ありがたかったし、休めた分

「心臓疾患」という子供のこれからと向き合えるだけの気力と体力を

回復するための時間だと考えていました。

入院している最中は、毎日NICUに会いに行っていましたが、

出産した次の日には娘は保育器を出て、

コットに寝かされていました。

娘に会いに行くと、いつも寝ている・・・

私、つまらない・・・・

NICUは戦場のように、ピコンピコンと警報音のような音もするため、

先生や看護師さんに、様子を聞きたくても

忙しさに声もかけづらかったのも覚えています。

それぐらい、NICUは、子供たちが一人ひとり

頑張って生きている場所なんです。

娘の心臓は、産まれた時と変わらず変化もなく、

狭窄も逆流もあるが、疾患のないお子さんと

見た目は何も変わらない感じでした。

心臓や内臓の疾患は、「見た目が普通」というのがあり、

転んでケガをしたなど外から見えるものではないので、

どうなっていくか予測がつかないので、

自分たち親側の不安は凄く膨らんでいきます。

でも、どんなに忙しい状況でもNICUの医師や看護師さんは、

面倒を見てくださり、体調を管理して下さっているので、

私の心も「安心」がありました。

私は、先に退院となり、娘は入院したままで帰宅となりました。

娘は、早い段階でNICUを卒業しGCUという場所へ移りました。

退院前段階の病棟です。

簡単に言えば、家に帰る前段階の生活に慣れる場所です。

なので、会いに行けばお風呂も入れてあげる事が出来るし、

授乳をしたりすることも出来る場所でした。

GCUに2週間ほど入院し、娘は帰宅となりました。

心臓病の子供を家に連れて帰るという不安は大きくありました。

泣かせたり、心臓が早くなることはいけないのか?

運動みたいに、ちょっぴりユラユラさせたりも駄目なのか?

こんな不安をGCUのうちにガンガン看護師さんと医師に

ぶつけたのを覚えています。

娘の場合、産まれた時と変わりない疾患はあるが、

血流が安定はしています。

唇が紫になったり、苦しそうにする以外は普通で大丈夫です。

と言われました。

帰宅してからは、普通のお子さんと変わらぬ育児で育て、

今も普通のお子さんと変わらぬ形で育っています。

ただ、1か月に1度、心臓の疾患を病院では診ていただいています。

始めは、大きな動きがあれば開胸して手術もあります。

と言われていました。

何事もなく過ごし、誕生日を重ねていき

5歳になるころに、変化があれば

カテーテルで狭窄した場所を押し広げる手術もあると

言われていました。

現在6歳。

雑音は聞こえるものの、手術もせず、

このまま様子観察で過ごしていきましょう、と

心臓疾患を抱えたまま元気に過ごしています。

まとめ

 

 

 

心臓病にも色々あります。

我が子がもつ肺動脈弁狭窄にも

軽度から重度までいろいろあります。

ただ、疾患を持ったから、

疾患を与えて産んでしまった自分のせいではないか。

なんて思う必要はないです。

なぜ?それは、「普通」という言葉にとらわれるからです。

私たち、夫婦は、自分たちの「普通」を、

疾患のない五体満足であるということから

「心臓疾患のある娘」を「これが我が家の普通」と考えることで、

乗り越えてきました。

娘のように一生付き合う事になる可能性もあれば、

どこかで手術を受ける可能性もあります。

治療などにも、たくさんの選択肢があるということです。

病気が無ければ、こんなに悩むこともないのかもしれない。

でも、産まれる前から、知らせてくれ悩んで受け入れる準備をさせてくれた

先生や看護師さん娘や夫に、本当に感謝しています。

自分の子供が!?と、悲観するときもあります。

でも、前を向けば答えが見えてくる事が沢山あります。

まだまだ、娘の疾患と付き合いは続きますが

私も成長しながら娘の成長を楽しみにしたいです!

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